書きたいことを書くというのは面白いのと同時恐怖を感じることもある。
僕が日ごろよく思うのは、ふとした会話の中で信用を失うことあるのと同じように、ちょっとしたツイートしたことが人の信用を失ったり、書いたブログが不満を呼んだり、些細なことで人間関係は悪くなることがある。
それがネットとなると記録として残ってしまうので、関係のない人がぞろぞろと参加してきて、社会全体に叩かれたりするようなことにもなりかねない。
でもその逆もあって、てきとうに発信したことが人の心を変えたり、救われたりすることもある。
今はちょっとしたことでたたかれてしまう世の中になってしまっていたとしても、そんな世の中ででも自分の思ったことを発信するということは時に人を救ったり、勇気づけたりすることがあるのも確かだ。
自分の発信が人を救ったとして、それが自分に届かないというだけのこともあるだろうから。
僕が発信する理由はそれだ。
誰かが救われていると思って発信するだけで僕は救われる。
この記事を読んだだけでも、あなたは僕を救っていることになるということ。それが僕に届くことがなくても。
何もしていないつもりでも、あなたはすでに多くの人を救っている。
それがあなたに届くことがないとしても、あなたは僕を救っている事実は確かにここにある。
つまり何が言いたいかというと、僕から言いたいのは、とにかく「ありがとう」とだけ。
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